「龍が如く2」が発売されたのが2006年、「龍が如く1&2 HD EDITION」が発売されたのが2012年、「龍が如く6 命の詩。」のドラゴンエンジンをベースに実にオリジナルから10年以上を経てリメイクされたのが「龍が如く 極2」だ。「龍が如く 極2」はあくまでメインストーリーは「龍が如く2」がベースになっている。本作に触れる前に簡単に「龍が如く」と「龍が如く2」を改めて検討してみよう。シリーズ最終章である「龍が如く6」を経たあと、「龍が如く」シリーズがいったい何を描こうとしたのか?というのが新たに見えてくるように思えるからだ。
そもそも「龍が如く」は映画やコミック、小説などでは取り上げられつつも、ゲーム業界では忌避されていた”ヤクザ”を無謀にも挑戦的に題材にしたゲームである。とりわけ映画俳優の大御所である渡哲也を声優として起用できた実績は大きく、以後、映画俳優が出演するのは「龍が如く」シリーズのトレードマークになる。
「龍が如く」が日本映画界に歩み寄りを見せる一方で、本編のストーリーでは“賽の河原”や伝説の情報屋の“サイの花屋”などヤクザ映画には登場しないおよそ荒唐無稽な存在が出てくる。「龍が如く」シリーズの世界観とはヤクザ映画のような硬派な作りではなく、むしろコミックやVシネに寄ったファンタジーであることを初代「龍が如く」は定義づけた。このことは映画版の「龍が如く」に三池崇史監督が起用されていることから象徴的なことではあるが、古いヤクザ映画を愛好している私にとっては――「仁義なき戦い」のような実録ものより「昭和残侠伝」や「緋牡丹博徒」のような任侠ものが好きである――いささか残念な点ではあった。幼馴染の2人が袂を分かつストーリーは2000年の「新・仁義なき戦い。」を少し想起させたものの、ビデオゲームなりの咀嚼なのだろうが、ヤクザという野心的な題材に挑んだにも関わらず、そこで描かれるテーマは表層的なものに留まっている印象であった。
ヤクザ映画の続編で見られるある種の流儀に沿うことによって「龍が如く2」がよりヤクザ映画の格調高さを初めて獲得している
それが「龍が如く2」ではヤクザ映画の本来の流儀にぐっと近づいたように当時は思えたものである。もちろん大阪の城や忍者などは荒唐無稽なものは相変わらず存在しているが、東城会VS近江連合というこの対立構図を続編で提示してきたことは重要である。関東VS関西、これは近年では北野武監督の「アウトレイジ ビヨンド」でも見られた構図ではあるが、古くは中島貞夫監督の「日本の首領 野望篇」にも見られた構図であり、現実の対立構造がベースとなっている。地元で地盤をを固め、あるいは崩壊し、続編では関東、あるいは関西と抗争する――このヤクザ映画の続編で見られるある種の流儀に沿うことによって「龍が如く2」がよりヤクザ映画の格調高さを初めて獲得しているように思えて、ヤクザ映画ファンとして当時は嬉しくなったものだ。
私はおそらく「龍が如く6」を世評よりも高く評価しているが、これも似たような観点からである。「龍が如く6」には“昭和のフィクサー”こと大道寺稔という荒唐無稽なキャラクターが登場するが、実のところ大道寺稔というキャラクターは現実にフィクサーと呼ばれ暴力団に関わりながら政財界に大きな権力を発揮した児玉誉士夫という人物がモデルになっている。あくまで「龍が如く」とはファンタジー的な世界観ではあるのだが、そこに多少、現実を参照することによってある種の異化効果によってテーマが浮かび上がる手法をとっているのである。これは俳優の顔を実際にゲームの中に登場させる手法でも同じことが言えるだろう。
「龍が如く6」がシリーズ最終章として広島を舞台にしたのは、最初に原爆が落とされた地であることと無関係ではない。そもそも暴力団は戦後の焼け野原からの復興の際に闇市や自警団から勢力を伸ばした構造があるからだ。このように「龍が如く」シリーズはヤクザを題材にしたために自家中毒的に暴力団、残留孤児、在日朝鮮人、沖縄、原爆――といった日本の戦後”と向き合いはじめることが余儀なくされる。そのテーマが意識され始めたのが「龍が如く2」なのである。「龍が如く0 誓いの場所」では中国残留孤児が描かれ、「龍が如く3」では沖縄が描かれ、そして「龍が如く2」は在日韓国・朝鮮人が描かれていた。我々は「龍が如く6」という最終章を体験しており、戦後というシリーズの基調と構造がより明白に捉えられるようになった。「龍が如く2」はその観点から再評価されるべきであり、「龍が如く」は忌避されてきたテーマをビデオゲームで開拓し続けたタイトルであることから再評価されるべきだ。もはや「龍が如く6」を経たあとには、桐生一馬が背中に背負っている龍は“戦後”のメタファーのように思えてくるのだ。
暴力団、残留孤児、在日朝鮮人、沖縄、原爆――といった日本の戦後と向き合いはじめることが余儀なくされる。そのテーマが意識され始めたのが「龍が如く2」なのである。
だがそんなにわかにテーマが深みが出てきたオリジナル「龍が如く2」は、大きな欠点を抱えている。それはどんでん返しが場あたり的でいかにも浅はかということに尽きるだろう。これは単純にプロットだけの問題ではなく、描写や演出上の問題も内包している。おそらく“関西の龍”こと郷田龍司の存在があまりにも強烈であり(なぜこのキャラクターをその後のナンバリングタイトルで登場させないのかは存在感がありすぎるせいだろうか?)、郷田龍司が放つ金色の輝きからほかの新キャラクターたちもがその光の影に埋もれてしまっているのだ。このせいで裏切りや黒幕や真相といった意表をつく展開がことごとく狙いを外してしまっている。
そこで本作「龍が如く 極2」である。実のところ「龍が如く 極2」ではメインストーリーで台詞や人物が整理されていたり、追加されたりしていると感じる部分はほとんどない。だが徹底してオリジナルの欠点がそのまま反映されているかというと、そんなことはない。それが俳優・声優の変更がかなり効果的に機能しているところである。まず本作のメインヒロインである狭山薫の声優変更だ。オリジナルの男性的なアプローチに比べて、女性的なアプローチになっている。好意的に捉えると、このことで「龍が如く2」のラブストーリーの側面が強調されたといっていいだろう。
「龍が如く2」にはプロット上の様々な問題があり、それは「龍が如く 極2」でもそのままだが、キャスト陣の交代や反映は上手く機能しており、オリジナルの欠点を補っている。
オリジナルの「龍が如く2」に声優と出演しつつ、本作で実写ベースの顔の出演を果たしたのが寺島進である。寺島進は言うまでもないが北野映画の常連でヤクザを演じ続けてきた人物である。寺島進が演じる瓦次郎という刑事は考えが読めない粗野で暴力的な人物として描かれているが、まさに寺島進の表情や顔に打ってつけであり、キャラクターに深みが増したといえるだろう。最後にオリジナルから完全に交代して新規として出演を果たしたのが白竜と木下ほうかである。木下ほうかの存在感も流石だが、とりわけ高島遼というキャラクターがオリジナルの舘ひろしから声・見た目とも白竜に変わったことは賛否あるだろうが、私は大英断だと思う。高島遼は重要なキャラクターであるのにも関わらず、オリジナルではかなり影が薄いキャラクターだったが、白竜の圧倒的存在感で出番が増えていないのにもかかわらず印象付けられた貫禄があるキャラクターになっている。ほかにも「龍が如く2」にはプロット上の様々な問題があり、それは「龍が如く 極2」でもそのままだが、キャスト陣の交代や反映は上手く機能しており、オリジナルの欠点を補っている。特に高島遼の存在感のなさというオリジナルの最大の欠点は白竜の起用によって、ひとまず克服されたといえるだろう。
次にシステム周りについて言及しておこう。はっきりいって新規性はほとんどない。バトルシステムは「龍が如く6」とほとんど一緒である。問題は成長システムだろう。相変わらず敵を倒したり、達成項目やサブストーリーを消化して微々たる経験値しかもらえない。結局は金にものをいわせてステータスを強化することになる。またそうなると街のチンピラと戦う必要性があまりないわけだが、それならば逃げたときにバトル状態が解除されるのが遅すぎるので、はっきりとした救済措置が欲しいところだ。
シリーズを通して遊んでいる人にとって「龍が如く 極2」はストーリー・システムとも体験済みなので新鮮味がなく退屈に感じることだろう。
ミニゲームの「新・水商売アイランド」は「龍が如く0」、「新・クランクリエイター」は「龍が如く6」からの流用だ。「龍が如く6」や「龍が如く0」で初めて遊んだときに夢中になったようなしっかり遊べる新規ミニゲームが本作には存在しない。はじめて「龍が如く2」をプレイする人なら問題ないだろうが、シリーズを通して遊んでいる人にとって「龍が如く 極2」はストーリー・システムとも体験済みなので新鮮味がなく退屈に感じることだろう。「龍が如く6」であったスナックでの会話ゲームが、本作では「新・水商売アイランド」で登場するセクシー女優、「新・クランクリエイター」で登場するプロレスラー相手に会話ゲームを繰り広げることになる。これに関しては大いに笑わせてもらった。
最後に本作に追加された真島吾朗が主人公のシナリオだが、完全に新鮮な気持ちでプレイできる本作の一番の救いである。私は「龍が如く」シリーズの最高傑作は「龍が如く0」だと考えているので、真島吾朗をプレイアブルキャラクターとして再び蒼天堀を訪れること自体が嬉しく思うし、またシナリオもコンパクトながら良くできており「龍が如く0」の良さを再認識した。しかしあまりにもボリュームが短すぎて、遊び足りなかったというのが正直な感想である。あくまで「龍が如く 極2」の前日譚であり、裏側を描くアナザーストーリーではない。もしこれが「龍が如く 極2」の裏側の真島吾朗の活躍まで描きつつ、10時間は遊べる中編程度のボリュームさえあれば、真島シナリオだけでもこのゲームはフルプライスを出して、プレイする価値があると太鼓判を押したことだろう。しかしあくまでもおまけ扱いのシナリオに留まっているおり、このためだけに購入する価値があるとはいえるものではない。しかしこうして「龍が如く0」を通して真島吾朗のキャラクターも厚みが増しており、これを反映したシリーズもちゃんと見てみたいと思う。「龍が如く 極」シリーズは「極2」で終わらず、以後も続いて欲しいところだ。