もしもあなたがアラサーで、ぴかぴかのNintendo Switchを握りしめているあなたの最愛の子供に、「パパやママが子供のころのゲームって、どんなふうだった?」と聞かれたら、その愛くるしい頬に『The Messenger』のコピーを叩きつけてやれば事足りる。そう、『忍者龍剣伝』を叩きつけるわけにはいかない。時代は変わったのだ。いまや私たちは、新しい世代にとって、というよりも、目まぐるしい速度で進化をつづけてきたビデオゲームの文化状況において、『忍者龍剣伝』があまりにもタフすぎることを知っている。もっとカラフルで親しみやすいゲームが世にあふれているいま、ファミコンを起動することは、子供にとってもアラサーにとっても、日本書紀を原文で読むようなものなのだ(もちろん、読むことはおおいに推奨されるが)。
しかし人々のあいだには、こうしたタフな古典に対する情熱や崇敬の念をいつまでも持ち続け、いつかその系譜に属する作品を発表したいと密かに熱望している者がいる。『The Messenger』を創造したSabotage Gamesの面々も、まちがいなくそういった者たちである。このことは、ゲームを起動すれば、その洗練された8bitのグラフィックとカットシーンの構成から、ただちに了解される。
ことの成り行きはこうだ。魔物の軍勢に攻め寄られ、死よりも隠遁を選んだ人類の生き残りが細々と暮らす島に、「魔王が再来するとき、西の空より英雄が来たりて彼らを救う」という言い伝えがあった。この運命の日にそなえて人々は忍術の修練に励んでいたが、もちろん、これはゲームなので、開始2分とたたずに魔王が再来し、西の空から英雄が飛来する。プレイヤーキャラクターは若い忍者である。この忍者は英雄から謎めいた巻物を受け取り、島の東の果てへとこの巻物を運ぶ使命をさずかる。使者(The Messenger)の誕生である。
「テレビゲーム」というなつかしい言い回しを聞いたとき、ファミコン世代の脳裏によぎるイメージを、繊細な手つきでもって完璧に表現している。
言うまでもないことだが、これはビデオゲームだ。しかし、ここまで時代が下り、ビデオゲームが表現できることがあまりにも多くなった、「ビデオゲームだ」といちいち断ずる意義とはなにか。それは本作が、名機ファミリーコンピュータの発売にあわせてこの世に生まれてきた多くの人が「テレビゲーム」というなつかしい言い回しを聞いたとき、彼らの脳裏によぎるイメージを、繊細な手つきでもって完璧に表現しているからだ。
これだ、これなのだ。横スクロールの2Dプラットフォームアクション、それも8bitのもの。水銀のようになめらかなインプット。数学的厳密さに支えられたフェアな当たり判定。冷蔵庫に入っていた材料でフルコースを作り上げるようなFM音源ふうのBGM。ある作品を固有なものとするメカニクスも欠いてはいない。この作品には、単純なダブルジャンプあるいは空中ジャンプは存在しない。そのかわり敵、灯籠、そして敵が発砲したプロジェクタイルを刀で切るたびに、滞空中にもういちどジャンプすることができる。このメカニクスが作品固有のボスファイトやプラットフォーミングを可能にし、素朴でありながら、なにかひとつ新しいものをプレイヤーに与えてくれる。
水銀のようになめらかなインプット。数学的厳密さに支えられたフェアな当たり判定。
そして目まぐるしく変わるステージの各所に配されたアップグレードを可能にする「商店」が、この作品はたんなる8bitへの郷愁にとどまらない何事かであることを、おもしろいことに、ウィットな会話文で教えてくれる。スクリーンショットをご覧いただければわかるとおり、この「商店」はそれまで続いてきた奇妙な和風のテーマとは一線を画しており、わざとその存在がグラフィカルに浮き立つようになっている。また、マップじゅうに配されているポータルから、まったくおなじ商店にテレポートしているようだ。そこで使者は商店のオーナーに言う、いったいここは何なんだ? すると魔道士の青いローブを身につけたオーナーが答える、こんなゲームの序盤で物語の核心が明かされると思うなよ。
とはいえプレイヤーは、アクションゲームにふさわしい、じつに軽い気分でプレイしているのだから、あまり気にすることなく店を出て、さらに先へと進む。プラットフォーミングの攻略手順や謎解き自体がファミコンやスーパーファミコンの古典作品からの引用となっているマップ構造や、どこかで経験したことがある行動パターンではあるがテキストとグラフィックによってユニークに仕立てられているボスたちとの戦いを経るうちに、この「商店」のオーナーは、さまざまなアップグレードを与えてくれる。しかし、この店主、いったい何者なのだろう。グラップリング・フックを使者に与えるときなど、「10年以上前にジョン・ガイデンが発明した代物だからな」などと言う。食えないやつだ。
まあ、気になることはなるが、とにかく先に進もう。巻物を運ぶこと、それが私たちの使命なのだ。灼熱の火山をくぐり抜け、氷に閉ざされた東の山の頂上にたどり着いたとき、ようやく巻物がそれ自体の意図を発揮する。これは実際にゲームプレイで確認してもらうとして、ここからゲームが、アクションという核心の部分は残しつつ、まったくべつのものに変身する――メトロイドヴァニアになるのだ。
『The Messenger』は途中から、アクションという核心の部分は残しつつ、まったくべつのものに変身する
メトロイドヴァニアとは、その名が示すとおり、『メトロイド』と『悪魔城ドラキュラ(英題:キャッスルヴァニア)』のエッセンスを受け継ぐアクションゲームの呼称である。実作品でいえば、『オリとくらやみの森』『Axiom Verge』『Hollow Knight』などを指す。これはえんえんと右へ進むばかりの2Dプラットフォームから方向の観念を取り払い、部屋ごとの上下左右の接続を標した地図をプレイヤーに渡して、この四方向を自由に探索してもらう、というジャンルである。したがってこのジャンルは、プラットフォーミングアクションを父にもつ息子として認めることができるだろう。
ゲームデザインのこの大胆なトランジションを支えているのはもちろんストーリーの展開であるのだが、白眉なのは、この転調をきっかけとしてマップの各所に奇妙な光のポータルがあらわれること、そしてその効果である。このポータルをくぐり抜けると、使者は「過去」と「未来」を行き来して、時間にさまざまな変更を加えることができる。これによってストーリーに深みがもたらされ、また実際のゲームプレイにおいては、いちど訪れたマップの各所で、謎のまま残してしまったシークレットや、未探索のエリアへの入り口などが解放されているのを発見する。
使者は「過去」と「未来」を行き来して、時間にさまざまな変更を加えることができる。
しかしなによりも強調しておきたいのは、この光のポータルをくぐり抜けたときに行われるグラフィカルな演出である。光が広がり、まるで息を潜めていた別世界が姿をあらわにするように、8bitふうのグラフィックと音楽が、16bitふうのものに、実にスムーズに切り替わる。まるで時の流れによって絶たれた世代同士を、軽々と越境し、接続するかのようだ。
こうして解き放たれた新しい世界は、地理的、構造的には、横スクロールでいちどプレイしたマップの再訪にほかならないのだが、メトロイドヴァニアらしい探索やまったく新しいグラフィカルな彩りによって、ほとんど「再読の楽しみ」と呼べるようなゲームプレイの快感を、作中で表現することに成功している。それはまるで、楽しかった記憶を頼りにもういちど手に入れたファミコンの作品が、子供のころに感じられたものとはまったく別種の美しさを備えていることに、大人になったいまだからこそ気づくような体験だ。
ほとんど「再読の楽しみ」と呼べるようなゲームプレイの快感を、作中で表現することに成功している。
ただ、メトロイドヴァニアというジャンルに転調することによって得られる体験は、もちろん無謬ではない。実はこの作品の美徳の多くは、プレイヤーを一方向に進ませることによってのみ可能だった細密な難易度曲線の調整と、自分はものすごいニンジャなのだという満足感を与えるためのマップデザインという花道、そしてポピュラー音楽でいうサビの部分にあたるボスファイトの正確無比な配置にこそあった。これらは実のところ完璧にセットアップされたおもてなしの体験、メニューから飲み物までシェフにまかせきりにする快楽なのである。
そう、実のところ、この作品の難易度は、高くない。しかし、高く見えるようにできている。初見でぎりぎりクリアできるかできないかといった難易度を、さまざまなマップデザインのバリエーションのうちに維持することで、自分がものすごいプレイをやっている、とプレイヤーに思い込ませるようにできているのだ。これがおもてなしでなくてなんであろう。
自分がものすごいプレイをやっている、とプレイヤーに思い込ませるようにできている
しかしながら本作は中盤で軽々とジャンルを越境し、プレイヤーが能動的に探索をするように促す。たとえていえば、コース料理を楽しんでいたはずなのに、途中でとつぜんビュッフェ形式が導入され、椅子から立ち上がらなければならないような唐突さをプレイヤーに感じさせるのだ。もちろん、ビュッフェに用意されている料理は頬が落ちるほどすばらしいものばかりだし、筆者はむしろこうした大胆な形式の変化を快く楽しんだのだが、人によってはこれを失敗だと見なすこともありうるだろう。たとえば、弊誌の兄であるIGN USの評者Mitchell Saltzmanは、同誌に掲載された本作のレビュー記事のある箇所で、つぎのように述べている。
「しかしながら、ゲームの中盤であることが起きる。『The Messenger』は、ファミコンの『忍者龍剣伝』のような一方向のアクションプラットフォーマーから、無秩序なメトロイドヴァニアへと変化するのだ。残念ながら、この転調は失敗であり、ゲームの後半部を繰り返しの右往左往とつまらないお使いクエストからなる蛇足へと堕してしまっている。」〔筆者拙訳〕
筆者はこの意見に同意するものではないが、理解することはできる。たしかに中盤から、ボスファイトが少し足りなくなったような気もするのだ。しかしながら、「繰り返しの右往左往」は筆者にはなかったし、目的の場所へとたどり着くためのアクションそれ自体が褒賞であるようなクエストは「お使い」だとは思わなかった。
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なめらかなインプット
古典作品への敬愛が感じられるマップデザイン
世代間のすぐれた越境
ジャンルの唐突な転調
ジャンルの唐突な転調