中東のヒジャブを被った少女のアニメーションだと聞けば、その文化の違いから日本とは関係のない出来事だという印象を持つかもしれない。だが『生きのびるために』は違う。現在の世界で進行している、切実で普遍的な物語が描かれている。ヒジャブの少女とその家族が社会的に追い詰められる切実さは、ここ日本でも例外ではないからだ。
現在の世界で進行している、切実で普遍的な物語が描かれている。
タリバン政権下のアフガニスタン。少女パヴァーナは道端で、片足を失った父とともに物を売って暮らしていた。客足が途切れる間に、パヴァーナは父から歴史を学んだり、神話について学んでいた。
しかし周辺の店では「女性に商品を売った」ということでタリバン政権に属する男たちに責められるような、極端な男尊女卑が見受けられる緊迫した状況だった。女性は男性の付き添いなしでは外出することさえ許されないのだ。
苦しい状況のなか、パヴァーナの心を慰めるのは家族との団欒のなかで語る物語だった。パヴァーナは辛い現実を生き抜くことを、物語に助けられていた。しかし彼女を追い詰める出来事が起きてしまう。パヴァーナの自宅にタリバン政権の人間が訪れ、父が刑務所へと連行されてしまうのだ。
父親がいなくては外に出ることすら許されない。女性には買い物さえも許されていない。家族はこのままでは行き詰る。追い詰められたパヴァーナは、生きのびるために長い髪を切り落とし、男性のふりをすることを決意する。彼女は家族を守り、そして父を探し出すことができるのだろうか?
文化や環境を問わない、現実と地続きの物語
原作はデボラ・エリスによる2000年に出版された児童文学。アイルランドのカートゥーン・サルーンによる長編アニメーションだ。しかし本作は彼らが手掛けた『ブレンダンとケルズの秘密』、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』とはアプローチが違っている。
これまでのカートゥーン・サルーンはアイルランドの神話を描くスタイルだった。たとえば『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』は、旧共産圏や初期の東映動画のような手描きアニメーションの伝統的な部分と、デジタル制作による新しい部分がミックスされた優れたアニメーションだ。だけどそれはひとつのルーツを表現する意味があった一方、現実とはあまり地続きではないものでもあった。
だが『生きのびるために』では違う。ここでは過去の作品のような神話の再現としてのアニメーションではなく、直面している現実を徹底して描くアプローチに変わっている。タリバン政権下で男性が弱者に手をかけ、血を流すような暴力のシーンはもはや神話やおとぎ話ではない。現実的な痛ましい描写だ。
弱者が切り捨てられるすべての国と社会と地続きのアニメーションなのだ。
本作を監督したノラ・トゥーミー監督はアイルランドの女性監督だ。アフガニスタンを舞台とした本作を自分たちの文化や環境と別物として描くのではなく、どこまでも自分たちの生きている現実と地続きのものとして少女パヴァーナの生きている状況を描く。おそらくは監督自身が感じているリアリティが込められている。
その結果、日本とは明らかな文化や環境の違いのあるアフガニスタンが舞台であろうと、ここで描かれるパヴァーナたちの姿は今日の日本と無関係なものではない。弱者が切り捨てられるすべての国と社会と地続きのアニメーションなのだ。
現実世界と物語世界
『生きのびるために』ではカートゥーン・サルーンでもっともリアリズムに寄った描写が特徴である一方、これまでのような神話の壁画やタペストリーがそのまま動くかのような部分が別の形で機能している。
本作は2つのアニメーションで出来ている。ひとつはパヴァーナの生きる、タリバン政権下の現実世界。もうひとつはパヴァーナが家族とつらい現実を逃れるために話す、物語の世界だ。このふたつはちょうどアニメーションの持つリアリズムと象徴性のふたつにきっぱりと方向性が分かれている。
現実世界の苦しい状況に対して、神話やおとぎ話が生き抜くのに必要だと強く感じさせる
現実世界を描くアニメーションはスタンダードな方法でアフガニスタンの文化を丁寧に描き、パヴァーナたちの苦しい生活のリアリティを感じさせるように作られている。対してパヴァーナと家族が話す物語の世界のアニメーションでは一転する。切り絵のような、象徴的なデザインで構成されているのだ。
カートゥーン・サルーンのアニメーションは、記号や幾何学で構成されているような象徴的な描き方をしてきた。それは子供にもわかりやすいデザインである一方で、神話やおとぎ話の力を表現するためでもあった。
『生きのびるために』のパヴァーナと家族の語る物語世界では、まさにその象徴性が現実に対して深く意味を持つ。現実世界の苦しい状況に対して、神話やおとぎ話が生き抜くのに必要だと強く感じさせるのだ。
パヴァーナが父親をタリバン政権に連行される厳しい現実にさらされたあと、彼女は家族とともに物語を語る。そこで描かれる象徴的な物語は、決して現実から逃避するような物語ではない。そこで語られる主人公と出来事には、タリバン政権下の現実と彼女自身が大きく反映している。
リアリティのある現実世界から象徴的な物語世界にアニメートが遷移するとき、現実を生きのびる力を物語がもたらすという強い体験がある。物語のもたらす力とは良いものも悪いものも含まれる、場合によっては危険なものだ。現実逃避であったり、または都合のいいフェイク情報のような現実を歪めて認識する物語もあるだろう。だがパヴァーナは現実を見つめ、生き抜くために物語を語ることを選択している。
タイトルの意味合い
原題は『The Breadwinner(一家の稼ぎ手)』だが、筆者は『生きのびるために』という邦題が印象に残っている。様々な解釈ができるからだ。本作のアニメーションの構造と物語の持つ力が、視聴前や視聴後でタイトルの含む意味が大きく変遷していったことに驚く。いまも物語の持つ力を考えるうえで、この邦題に象徴される意味の広さについて考えている。
『生きのびるために』はシンプルに見れば「強健な男性社会で追い詰められる女性たち」だけのように見えるかもしれない。しかし本作で描かれる内容から想起させられるのは、社会的な弱者すべてを追い詰める姿だ。子供、障害を負った人々を切り捨てる状況を、否応なしに現実と重ね合わせてしまう。
本作でタリバン政権に象徴されているような、極端に弱者を追い詰める社会はもはや日本国内でも無関係ではなくなってきている。連日のように社会的なラインから外れた弱者を追い詰める出来事が起きているからだ。そうした現実の中で生きのびるために足る物語とはなにか? そう、現実を直視する物語を語るアニメーションである『生きのびるために』が、我々を生かす。
現在『生きのびるために』はNetflixで公開されている。
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特定の地域的に見えながら、いま現在普遍的な物語
現実世界と物語世界のふたつのアニメーション
物語によって生かされる力を確認できる体験
極端な男尊女卑社会が、タリバン政権下のアフガニスタン特有のものと見えかねない部分