不良少女クロエの不器用な青春体験
『ライフイズストレンジ』は、痛くて苦しくて…、最高にしあわせな青春を体験させてくれるゲームだ。
ただ楽しいだけじゃなく、痛みを伴う切ない青春。
父と親友を失い、居場所のない孤独を抱えているクロエを主人公に、新たなストーリーが紡がれる。
本編の前日譚となる『ライフ イズ ストレンジ ビフォア ザ ストーム』でも、その魅力は十分に味わうことができる。
絵画調のグラフィックは、すべてのシーンがポスターにして飾れてしまうんじゃないか?と思ってしまうようなセンスの良さがある。
部屋のおしゃれなインテリアや、廃品置場の雑多な雰囲気。
ビジュアルと音楽が作り出す空気感の良さは、群を抜いている。
さらに、青春体験を極上なものにしてくれるのは、舞台装置の妙にある。
貨物列車でイヤホンを分けて音楽を聴いたり、部屋をプラネタリウムにして肩を寄せ合ったり。
まぁ、わたしはこの世界観にメロメロってことになる。
主役を務めあげたクロエ
今作の主人公となるクロエは、前作で主人公の親友として登場した人物だ。
ロックな生き様と脆い心を持った彼女に世界中が魅了された。
不良少女として、反骨心むき出しの彼女の毒舌は気持ちがよく、それでいて不器用すぎる彼女が体験する傷だらけの青春に、また魅了されてしまった。
壊れた家庭で心の支えを求め、”レイチェル”という、自分とは正反対の人気者に出会うことでかき乱されるクロエ。
レイチェルが抱える闇を支える中で、ふたりの絆が強固なものになっていく、再びの青春体験ができた。
女性同士の友情を描いているということもあって、手を繋いだり、肩を抱いたりする距離感の近さにはいつもドキッとさせられるし、女性であるわたしは思い当たる経験がありすぎて、他のどのアドベンチャーゲームよりも感情移入してプレイしてしまう。
本編からの郷愁に浸れるノスタルジー
『ライフ イズ ストレンジ ビフォア ザ ストーム』は前日譚として制作されているので、時系列としては最初の物語になるのだが、プレイする順番は絶対に「本編→前日譚」がオススメ。
普通 。
普通は、ゲームで同じフィールドが使用されると、既視感の方が強くてつまらなくなってしまうものだが、本編で強烈な青春体験をした本作に限っては、
に大きな意味がある。
まるで故郷に帰ってきたような気分のノスタルジーに浸ることができるのだ。
ここではあんなことをした
そういった本編での思い出によって、単体の作品では味わえない深みが増す。
本編で出てきた場所やモノが、どんな風にして出来上がったのか、クロエが愛用していたものがどのようにしてクロエの私物になったのか。
青春の裏側を見られることが全て、プレイヤーへのご褒美になってしまう。
前日譚としての魅力
前日譚というゲームの位置づけ上、プレイヤーはある種”結末を知っている状態”でプレイすることになる。
例えば、
○○にはこういうことが起きる
登場するキャラクターたちの未来を知っている状態で紡がれるストーリーには、重みが伴う。
ネタバレになるので言及は避けるが、”レイチェル”という親友の存在自体が、前作プレイヤーにとっては核爆弾級の破壊力を持っていることになる。
避けられない運命を知ってしまっているからこそ、一瞬のような青春体験が輝きを増すし、”今”に対する尊さが増す。
これは前日譚であるからこその強みだと思う。
皮肉のきいたコメントが聞けるオブジェクトの数々
オブジェクトによる人物描写も余念がない。
クロエを主人公に迎えることで、オブジェクトを調べた時のコメントがさらに毒の効いた面白いものになっている。
情報が欲しいというよりは、どんなコメントが聞けるのかを楽しみに、全てのオブジェクトを調べ尽くしたくなるっていうのはちょっと異常。
コメントが面白ければ、自然とキャラクターや設定が頭の中に入ってくるし、このユーモラスな切り口は本当に素晴らしい。
また、じっくりとプレイができるのも特徴。
選択肢には基本的に制限時間がないし、周辺を探索し終えるまで勝手にイベントが進むこともないので、隅々まで見て回ることができる。気になった所
本編ほどの遊びやすさはない
おそらく、「この人このゲームめっちゃ好きやん!」ってわかってもらえたと思うので、遠慮なく気になった点も上げていこうと思う。
あくまで本編と比べた場合にだが、『ライフイズストレンジ』ほどの遊びやすさはなくなっている。
主人公が変わってしまっているのだから当然だが、クロエは時間を巻き戻すことができない。
『ライフイズストレンジ』では、選択肢を選んだ後の会話を聞いてから、逆再生するようにギュイーン!と任意のタイミングにまで時間を戻せるという、恐ろしい遊びやすさを兼ね備えていた。
「チェックポイントからやり直す」とかではなく、まさに1秒単位で時間を好きな場所まで戻せたのだから、さすがにこれに勝る遊びやすさはない。
というジレンマは抱えていると言える。
悪くいえば、「普通のアドベンチャーゲーム」になってしまった。
前日譚ゆえのデメリット
選択肢によってストーリーが変化するアドベンチャーゲームでは、「前日譚」という設定が足かせになることもあるのだと思った。
先にも書いたが、前日譚である以上、キャラクターの運命はある程度決まってしまっている。
○○は学校に在籍している
ゲーム本編で決定している事実は動かせないので、本編と同じ主要キャラクターを採用しながら、多様に分岐するシナリオというのは成立しない。
実際、プレイしていても、
という部分はあったし、そこはもう諦めて、パラレルワールドとしてプレイするのが正しそうだ。
一番残念だったのは、最後の選択肢によるシナリオの変化があまり大きくないこと。
これも前日譚である以上”動かせない事実”が邪魔をしているように感じられた。
レイチェルはクロエになれたのか
最高の青春体験ができる『ライフイズストレンジ』では、パートナーである親友の存在が非常に大きい。
実際、本編ではクロエという親友の存在に強烈に惹かれたはずだ。
と聞かれると、正直なところ、わたしは「No」だった。
レイチェルとの青春も楽しかったのは確かだけれど、そもそものキャラクターデザインが化粧っ気が強くて、センスがいいというよりはキレイ系。
ゲームの中でアイコンとして機能するほどの輝きまでは感じなかった。
レイチェルは学校一の人気者だし、クロエに感じていたほどの不安感や脆さ、支えて上げたいという気持ちが薄かったのかもしれない。
意外と悪いことができない
ロックな見た目と口の悪さに定評のある「不良少女クロエ」を操作するからには、とんがったキャラクターを演じたいと思ってプレイを始めるのだが、意外と悪いことができないことに気付く。
当然といえば当然なのだが、選択肢で悪いことを選択するとアドベンチャーゲーム的には不都合なことが起こるようになっている。
グッドエンドを目指そうとすると、たちまち「不良少女クロエ」ではなく、ただの不器用だけど優しい少女になってしまうのはすごく惜しい。
もちろん、プレイヤーがそんなことを気にせずに不良を演じればいいのだが、ゲームプレイ上の正しい選択と、心に忠実な選択が一致しないもどかしさを感じた。
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